進級。
入学。
入社。
新学期ですね。
春は優しい色合いで喜ばしい新生活の中にも、
緊張や不安でいっぱいの期待感で過ごされている方々がほとんどではないでしょうか。
『おかーかん?昨日な。一年生の人たちにお祝いの電報が来てたんよ。あっちゃんの保育園のせんせいからも来てたw』
『でもな。(たくさんの電報の)その中にな。熱いのか。寒いのか。わからんな~~と思う内容があったんよ』
昨日。
4年生に進級した、うちの三女。あっちゃんが
新入学された一年生に向けてのお祝い電報が掲示されているのを読んだことを教えてくれました。
入学の電報といえば
3月まで通っていた幼稚園なり保育園なり、その園の先生なり、
地域での明主の方々が送られてくるアレです。
『なんかな。その内容がな。一年生やそのおかーさんやおとーさんに、おめでとう!おめでとう!と、ものすごく熱く書かれてあったんだんだけどな。なんかな・・・なんか。なんかな、内容が寒いんよ。なんでだろ?』
地域の
政治家を目指す方からの電報だったようです。
誰に育てられたのか(ワタシだ)
あっちゃんは、素直でなく物事を真正面でなく、斜め?いや真横から??もしかして上からや下からも
あらゆる方向から『みる』癖があります。お恥ずかしい。。。
でも。
彼女のこの話を苦笑しながらも、なにか感じることはありました。
家庭で。職場で。地域でも。
あらゆる場所で、新鮮な気持ちで『人』を育てていく季節になりました。
ワタシもこの春から地域での新しい役に四苦八苦しながら『育てて』もらっています。
今日も、いろいろな諸先輩方から『指導』を受けてきました。
いや、『指導』を受ける・・・という感じ、それよりもなによりも『助け』てもらっているように感じてなりません。
新米の私が解らない事があれば何度、尋ねたとしても、面倒くさがらず根気よく親切に教えてくださります。
困ったり不安だと口走れば、『だいじょうぶよ。いっしょにやりましょう』優しく励ましてくだいます。
気が利かない私を責める事もなく、そっと先手を打って行動を起こしてくださっていたり。
ほんとうにほんとうにありがたい毎日です。
~続 子どもへのまなざし~
佐々木 正美
『子育て』に関する本ですが、
新学期。この春になると開く本です。
『人』を育てていくためには、まずは『信頼関係』
その『信頼関係』を築いた上での『教える』ということが大切だとわかります。
よく、
『指導』や『教育』と評して
嫌な仕事。面倒くさい仕事。まったく利益にならないような仕事。
自分よりも立場の弱い人に、押し付けている人を見かけます。
その人は言います。
『あの子のためだからね。あの子には勉強してもらいたいから。コレは指導。これは教育。』
熱く指導について語るその『指導者』のその言葉には、いつも疑問に感じます。
本当にそうなのかな。。と。
信頼関係もないのに
上からの立場で押し付けるのは『指導』でも『教育』でも、まして『人を育てる』ということにはならないのではないでしょうか。
生まれたての赤ちゃんは自分では何もできません。
オシッコやウンチがでても自分で始末ができません。
お腹がすいても、自分でミルクを作って飲むこともできません。
お母さんの子宮の中に。胎児として聴いていた、その優しい声の主が、
汚れたオシメを変えてくれ、やさしく声をかけてくれて慰めてくれ、しっかり抱っこしてくれお腹を満たしてくれる。。。
この『行為』を、気が遠くなるほど何度も繰り返されることが『信頼関係』につながり、
自分を大切に思ってくれているだという『自信』につながり、
明日への『意欲』につながっていくのだと思います。
『指導』や『教育』とは『信頼関係』を築いてからのことになるのかもしれません。
あっちゃんが
祝電に感じた『違和感』
きっと、これはそういうことなのかもしれません。
4年生になったばかりの9歳のあっちゃんでも解っています。
ましてや、
その2倍・3倍人生経験してきただろう、『新しい人たち』 『若いひとたち』は
きっと先輩のその一言が、その態度が『ホンモノ』なのか?
見ているし、感じていると思います。
私も
今回、自分が育ててもらう立場になり、我が身の振りを見直すいいきっかけになりました。
満開になる前の強風でちぎれた桜は
水につけても咲きませんでした。『地』になる桜とは違うんですね。
私も、
今はまだ力不足で解らないことばかりの新米ですが、
早く皆さんのお役に立つ事ができるよう、優しく教えてくださったあの方々に恩返しできるよう頑張りたいとおもいます。