『自己満足』と『誠実・責任感』の違いをかんがえてみた。
私の仕事はご存じのとおり助産師だ。
しかも、開業助産師でなく病院施設ではたらく いち勤務助産師である。
なので、夜中0時前に仕事にはいり、そのときの担当産婦さんや妊婦さんの情報取集をしたあと前勤務者から引き継ぎを受けケアにはいる。
自分の受け持ちがないときはフリー業務で新生児室へ行き、赤ちゃんのオシメを替えたりミルクをあげたりする。
たくさんの受け持ちがいることもあれば、そうでない日もある。
対象者の数は0だろうが10だろうが。
私の勤務は0時から始まり9時には終わる。
言いかえるのなら、私は勤務助産師であるので
この勤務時間にかかわる産婦さん。入院もしくは受け持ったときから、分娩後2時間まで。もしくは勤務時間の9時になり次の助産師に引き継ぐまでに責任があるということ。
9時間。
びっちり傍について陣痛に耐える産婦さんの腰を擦り、一緒に呼吸法をして、家族を励まし、
自然の経過に逆らえないながらも。ちょっとでも分娩経過が順調にいくようにあの手この手をつかったり。
真夜中にDrに相談したり。
自分が行ったケアの内容が濃いければ思い入れが強くなるケースだってある。
でも、
9時になったら、次の助産師へ。
もちろん、対象者への思いが強ければ、強いほど
拘束されている勤務時間以上に残こることもある。
、
夜勤明けのギリギリ・フラフラの状態で、
日勤の時は子どものを保育園に迎えもいかずに、どこかイライラとした状態で。
・・・自分のプライベートな時間を割いてまで分娩介助する場合だってあった。
自分の身や時間をを割いてまで。そんな思いをしながらするのが『責任のある誠意のある行為』だと信じていた。
それで、そんな自分が『かっこいい』とまで思っていた。
これが、本当に全てで『誠意ある責任感』のある行為になるのかなぁ。。
きっとこれは『自己満足』だ。最近特に感じる。
でもね。
『9時になりました!じゃ。私は時間が来たからこれまでね!あと。よろしく!』
『私の責任はここまでです。そこからはそちらの責任です』
時間が来たから。はい。さようなら。
自分の管轄でないから。はい。さよなら。
・・・・・これもどうかもおもう。これは不誠実であり無責任であり、自己満足にすらならない。
誠意とは。
責任感とは。
自己満足とは。
自分の能力の限界を感じた時に
自分に限られた中での時間ではどうしようもできないと感じた時に
勇気をもって、次の人間に引き継ぐことだって大切じゃないかな。
自分が誠意をもってしていたこと。だからこそ、誠意をもって次の相手に引き継ぐこと。
これが『責任感』だとおもう。
次の人は自分には出来なかったことを時間内に、あせらず平常にしてくれるに違いない。
自分にできなかったことは、くやしいけれど。
自分の限界を認めること。これが『誠意』なのかもかもしれない。
自分の心や体力や能力の限界をこえた状態ですべて抱え込むことは決して誠意や責任感ではない。
これは、『自己満足』でしかないと本当に最近強く思う。
自分に与えられた時間や能力、その中で。
自分にできることを誠意をもってとりくむ。限界を感じたら渡す勇気が責任感なのだとおもう。
たまに。
あたまのなかで、ぐるぐる考えるテーマ。
は~。がんばろ。