『知っとる?ここに、すごいプロが居るんで。俺は尊敬の念もこめて、彼を【達人】と呼んどる。』
長女の塾の送り迎えのルートから、すこし外れた場所にあるこのスーパー。
数日前、
翌朝の牛乳とパンがなかったので、買い物がてら、オタカと一緒に長女を迎えの前にそのスーパーに行った。
スーパーの駐車場で車のサイドブレーキを引きながら、オタカがすこしわくわくした感じで、【達人】とやらの存在をワタシに教えてきた。
『今日は、(達人)居られるかな~。』
黄色の買い物カゴを、右手に、野菜コーナーでバナナとリンゴとレタス。卵を2パック。
鮮魚コーナーを眺めてたあと、精肉コーナーにさしかかろうとした頃に、
一緒に店内で買い物していたオタカを見失った。
『居った!居られた!いらっしゃったで!!!』
うれしそうなオタカに、連れられて
数か所開いているいるレジは無視して、まっすぐにその【達人】の待つレジへ。
年齢はワタシたちの同じくらいかな?
すらり~ひょろり~とした感じ。
髪形は、なんとなく、くたびれた感じで。横分けにしていた前髪がはらりと落ちていて哀愁を感じる。
その時に【達人】が身に着けていたメガネとマスクも、どことなく、顔面の定位置からズレていた。
声はそんなに大きくないけれど、丁寧で静かなものの言い方ではある。
でもメガネの奥の目もそんなに愛想もない。
一見。
さえない中年風。
こんな20時過ぎのスーパーのレジに中年男性。
申し訳ないけれど違和感。
失礼だけど、『え?この人が【達人】?』と思った。
ところで
長女は今年受験生になった。そんな彼女は、
将来なにになりたいのか?
何を目指すのか。自分がなにをしたいのか、
解からないという。
親としては
娘が将来困らないように、そして皆から尊敬されるような仕事についてもらいたいと思っている。
仕事内容に応じてそれなりの報酬が頂けて社会的にも地位がある仕事。
しっかり勉強して、将来に備えてもらいたい。
安定しない仕事は不安だ。
昔、専業主婦の友人に
『なおみ。なおみは正解じゃったな。その仕事。助産師という仕事。強いで~』
と言われたことがある。
『どんなにいい大学でても、仕事がなきゃね。凄い大学でて、レジ打っていますもん』と、いった同業者もいた。
そうよな、
そうなんよな。
いい仕事はうらぎらんよな。
皆から一目、置かれるもんな。
どこかで
職業差別していた。
スーパーに【達人】なんているわけがない。
でも、その【達人】
そのレジを通しながら、横のレジ後カゴへ移すときはまったく無駄がない。
固いもの重いものは下には当然だが、肉と肉は、向い合せるようにビニール袋に入れ、パンは一番最後にレジを通し、カゴの一番上へもっていく。会計の合計を言いながら一礼する仕草もにくい。
会計を終えて
袋づめしているとき、オタカはワタシに耳打ちする。
『見てみ。【達人】。レジのお客がさばけたら、また別の仕事しとるで』
振り返ると
バイト君やおばちゃんのレジは、『あ~。もう少ししたら、終わるな。早く終わらんかな』みたいに、
終了時間をぼんやり待っていたりする中、
【達人】は
レジでごそごそしていたと思うと、今度は他の場所で別の用事をしている。
レジに、またお客が溜まってくると、だれにも頼まれたでもないのに
どこからともなくやってきて、レジを通している。
見た目からは考えられないが
【達人】は周りの空気の読み方が絶妙で、時間や空間の使い方がうまいのだ。
そこまで愛想がいいわけではない。
無駄口を叩くわけでもなく、ただ仕事を丁寧にきちんとこなす。こなすからこそ、必要以上に愛想しなくてもいいのかも。
間違いなく
【達人】が仕事をこなす姿は【達人】だった。
有資格者だったり、
どんなに素晴らしい企業に就職していたとしても、
それに見合うような誠実な仕事ができる人ばかりではない。
学生時代、必死で勉強して得た資格でも十分に生かせてないときだってある。
一般に社会的地位の高い仕事についたとしても、そうでないにしても。
その場で
自分がそのあたえられた仕事、自分がなすべき仕事を
誠意をもってこなすことが、皆から尊敬される、地位のある価値のあることなのだ。
政治家になっても、
医師や弁護士、裁判官、大学教授、
一流企業の役員以上、官公庁で役職に就いている人、
専業主婦、助産師。スーパーの店員。
どんな仕事についたとしても、
その仕事に誇りを持ち、甘んじず、日々を過ごすことこそが
価値があり
一流であり
プロであり
【達人】である。
だから、【達人】は関わった人間を感動させることができるのだろう。
うちの父は
若くして働きだし、今は立派な農家である。
よそのお父さんはネクタイ締めて、スーツ着て。
綺麗な格好をして【会社】に行っている。
小さいころは
泥まみれで汗を流しながら働く父の仕事を
他人から聞かれるたびに恥ずかしかった。
70過ぎた父は今でも、
どうやったら甘いサツマイモがつくれるか。
どうやったらみずみずしい白菜がつくれるか。
どうやったら味の濃いキュウリがつくれるか。
父の作る野菜は、ほんとうに『味』がして『おいしい』
時々送られてくる、父の。おじーちゃんの【達人】の野菜は 我が娘らのなかでももちろん好評である。
日々、探求しながら
現状に妥協することなく、
父が若いころと同じように農家である自分を楽しみながら仕事をしている。
これぞ、プロなのかな。
スーパーの【達人】。
話したこともないし、おそらく今後も話しかけることもないけれど、
また、お店に行ったときは、
ワタシもオタカのように
彼を探すんだろーなー。